「SWAN SONG」雑記危険物
一通り云々かんぬん書いていくつもりだったけど気づいた。
白鳥が死に際に歌を歌う。と言いますが、作中で
「みじめで救いのない声しかなけない。だから最後に美しい声で歌える物語を作ってしまえばそこに希望を見いだす事ができる。嘘だからこそ、隠された願いが聞こえ、惨めな声も美しくさせる」と。簡単に書いてしまってますがニュアンス的にはこんな感じですね。
醜い声しか出ない白鳥は死に際に美しい声で歌えるわけがない。だけど、作者が美しいものとして最後を完成させる。
↓
悲惨な目に合う主人公は死に際に人生を達観させる肯定させることは出来ない。だけど、ライターが美しいものとして最後を魅せる。
タイトルの通り、白鳥の歌であるから「主人公の為なら仕方がない」といってるようなもの。
簡単にまとめてみると
「主人公に人生の肯定は出来ないけどさせてあげるよ」と神様(ライター)が仕方なく最期を描いてあげた。
全然簡単にまとまってないし何を言っているかわからないんですけどこれは雑記なので。という言い訳を書いておく。
……しんどすぎんか?
感想を色々見ていてると、キルケゴールが挙げられていて
「死に至る病は絶望のことである」は死によってもたらされる絶望は回避できない→神の救済が可能性である。らしい。分からん。
「死に至る病は絶望のことである」つまり「絶望は死」。諦めたら終わり。だから、諦めるなと言われてもそんな無茶なことは出来ない。希望を信じようとも、雪に覆われて太陽の顔も覗かない。しかもそれに加え、人は死に心理状態は不安定。希望を信じているつもりが、それは有を信じるのではなく、無を信じている。やっぱ分からん。
話の本質としては「人間は難しい生き物」なんじゃねーのかなと。
だって登場人物たちは色々と分かり合おうとしている人がいて、それに乗っかる人もいれば擦れる人が出てくる。特に序盤の鍬形なんて田能村に対しての感じが陰キャを体現していて気持ち悪さを感じてしまった。どうでもいい。
・尼子司(主人公)
ピアノの才能を持ってしているのに交通事故で手が使えないが、心を折ることなくピアノを引き、希望を持ち続ける。
・田能村慎
彼が決め手となる人物。鍬形の制限をかける存在であるもの。その場からいなくなると鍬形は暴走し手がつけられなくなってしまう。
彼自身はまともな人間として生き、人が人であり、人自身の限界を体現。
・鍬形拓馬
彼が嫌がっていたものを我々プレイヤーに見せつけてきた人物。
災害によって人が変わり果てる姿はこんなにも醜いものなのか。なんて思ったりしたが、実際はそうではなく、感情が振り回され続け疲弊した結果なのだろうと。
絶望を常に持った彼女は……というか、なんか可愛い子だけど、絶望することに慣れている。生きることに無頓着。死んでも構わないみたいに達観して、ただ、どこかしらもういいやと諦めているように感じる。
・川瀬雲雀
田能村を女性にしたらこんな感じだろうと思ったりもしたが、流石にバカバカしすぎてそう考えるのはやめた。彼女は「全ではなく個」である。