主人公になるのを諦めたオタク

色々あったこと、やったことを書いていきたいと思います。

終ノ空リメイクをやっていたときの自分が書き散らしたメモ帳

 どうもゆのりです。

 ホントはちゃんとまとめて置きたかったけど手っ取り早く残せるものはないかなと思ってブログに書きました。

 もしかしたらリライト作業をするかもしれないけどしないかもしれない。

 ただこれはただの自己満足なので開いた方はそのままブラウザバックしてもらっても構いません。

 

 

 

 

 

 

 

 本編

 

ウィトゲンシュタイン

論理哲学論考
メモ帳

「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」
「言語においてのみ引かれる」
  ↑思考可能な領域のみで議論しようと得となると上記のものになってしまう


セカイとは、起きていることすべてのことである。(ものではなく、事実の総体であるとする)
起きていること、つまり事実とは、いくつかの自体が成り立っていることである。
事実の理論上のぞうが、思想である。
思想は、意義を持つ命題である。
命題は要素命題の「真理関数」である。「」

真理関数 真な命題と偽な命題とだけからなる集合に等しいような写像

真理関数は命題関数
つまりは1か0のどちらかしかないってこと

語り得ないことについては、沈黙する他ない。
↑絶対これは外せない

セカイはその場に起こることの全てである
↑私が考えうる文章の限界が、我々が理解できる限界である

「論理学であるものはすべて物理的なセカイではないものではないため」

セカイとは事実の総体であって、物事の総体ではない
文章とは単語の肩周りではなく、記述されたものである

事実とは、いくつかの事態がなりたっていることである
動詞 → 主語 術後 動的 関係で説明している


事実の理論上の像が、思想である(思想はパラレル。事態とは思想ではない)

哲学探究

言語ゲームをしてみましょう

誰かが「ぶぶ漬けでもどうですか?」
Aさんの解釈「お茶漬けどうぞ」
Bさんの解釈「はよ帰れ」


これはネタだろw

「これが言語 考えをやる この駆け引きが言語ゲームに近いもの」

 

カント


純粋理性批判

「ゆっくりで学ぶ人間のための純粋理性批判」 マー坊さんの公開マイリスト - ニコニコ

www.philosophyguides.org

kantbuddha.com


世界に時間空間的限界はある
ないとすれば無限になる

世界に時間空間的限界はない
あるとすれば無によって限界づけられる

世界に最小単位はある
世界は合成物なので

世界に最小単位はない

最小単位のうちにも多様なものが含まれている

世界に自由はある
完全に自発的な原因がそうていされなえればならないので

世界に自由はない
力学的に見て、何らかの作用が始めるためには、それ以前の条件が前提となるから

神はいる
変化の系列は無条件者(神)に至る完全な系列を前提しているから


神はいない
いるとすれば、系列のうちに原因をもたない始まりがあることになってしまうから


純粋理性批判は理想で世界の幻想である。現実は理想から離れている

動機主義
道徳の法則


人間が見ている世界と世界そのものは別物

上記の例を出すとなると
DVDをいくら真剣に眺めても分からない
じゃあどうすればいい? DVDを入れるプレイやーが必要になってくる
そうすればDVDを見ることが出来る
これがたとえ話になってくる

「世界そのもの」を「物自体」

「人間が見ている世界」を「現象」

例とすれば「どの時間上にも、どの空間上にも存在しないリンゴ」を見たり、食べたり、感じたり出来るか?
いや、出来るはずがない!

「二律背反 アンチノミー

コペルニクス的転回

神はいる

 

終ノ空リメイクの感想というかやっていた思ったもの

前作と比べてめちゃくちゃ読みやすいかも
暴れまくってない
絵が良すぎる
主人公フルボイスは神ゲー

幸福であることが生に追いて勝ちなのか

終わらないセカイに、意味を与えるために
これから先、変わらない日常が流れるようにと

運悪く一つ一つの平和の歯車が欠け始めたところから日常はすっかりと変わり、

雰囲気にも飲み込まれてしまい人々は狂う

ゆりえっち

ざくろちゃんのキメセク、ヤバすぎて笑ってしまった
声優さんありがとう。

若槻と仲いいじゃん

ヤクザのほうが優しいの面白すぎるな

手を握ると映像が流れてくるんじゃなくて、自分と同じ目にあってるのを想像してたんじゃないのか
もしくはクスリの影響とかもありそう

宇佐美と亜由美はあそびでやっていたつもりだった
けど、ざくろは本当に大変な思いをしてきたから余計に信じやすかった
エスカレートしていく

都合の良い言い訳をして◯殺をした
二人は遊びだった

絵が綺麗だしこんなに音無可愛かったか?って感じ


予言は空を舞った時、それを受け取るものが世界でああるならば、それは霧散するだろう
予言=世界の終わり
空を舞う=高島ざくろ
受け取るものが世界=私達が生きる限界
霧散=死

どうであろうか

つまりは人が想像するものによって違うのではないか

やすこ視点のラスト
音無の言っていた物語のラストで何かを決定づけることで自分自身を意味のある存在にさせようとしている
それはきよしへむけた言葉

愛はエゴだ。愛は押し付け。そして呪いである。

それが美しいというのか。そう。美しいのだ。

終ノ空の先はこの世界の限界の先である。その先であるものを見ようとしている。

やすこ視点は面白い


人はその器官を中心に世界を作る

だけど、その器官を中心に見えるものは、有機体が環境を感知する限界にすぎない

その器官は物質として私の魂との共鳴に耐えることは出来ない

これが俗に言う、私の言語の限界が私の世界の限界を意味する

頭が存在する つまりはそういうことなんじゃね?
これ、俗に言う、ウィの「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」ための一歩なんじゃね?

 

馬鹿だから間違ってるしこんなのも分からんのかとかちゃんと読めゴミとか言われそうだけど
ふと思ったので

救世主様がやっていることは宗教活動と同じ?

リルルちゃんとのふたなりセックス最高

音無はやっぱメタ的な存在だよね

 

こんな感じで終わらしたいと思います。多分また書き込んだりするかも。